そば歳時記


江戸時代から昭和初期に蕎麦に関する歳時を

月毎にまとめました。

地方の集落により様々な慣習がありますが、

一般的な歳時を抜粋しました。





睦月


元日そば(切り初め)【1/1〜3】


 蕎麦切りは晴れの食べ物の中でも、

 特に上位にすえられ全国で三が日に食されていた。



道祖神祭り【1/14】


 村境にあって外部から侵入する疫病神から

 安全を守る神として信仰され、

 14日道祖神に豆腐・油揚げ・そば・繭玉などを上げる。

 一生側で守ってもらうため、

 一升そばを供えるのが仕来りである。



晦日そば【月末】


 月々の末日に祝って食べるそばのこと。

 つごもりそばともいう。



如月


節分【2/3〜4】


 立春の前日をいい、

 冬の節が終わって春の節に移る時であることから、

 立春を年の改まる日と考え京阪地方では

 年越しそばを祝うところが多い。



敦盛忌【2/7】


 無官の大夫平敦盛の命日である2/7に

 神戸市須磨浦公園にある敦盛塚の前で法要が営まれる。

 【敦盛そば】 敦盛にかけ熱盛りを出す店があるが、

          本来はぶっかけ(かけ)そばのことである。


弥生


雛そば【3/3】


 晴れの日に食べるものであるとともに、

 そばの三角と重三(三月三日は三が重なるため)

 との関連もある。

 後に絢爛豪華な雛飾りに合わせて重三にちなんで、

 三色そば(赤:海老、白:更科、緑:蓬)が

 喜ばれるようになった。

 江戸文化が爛熟し、豪華になると五色

 (黒:海苔、黄色:卵)となる。



卯月


蕎麦喰地蔵尊【4/24、10/24】


 九品院に安置してある将軍蕎麦喰地蔵尊の例大祭は

 4/24,10/24に催される。

 浅草広小路の尾張屋という蕎麦屋に、

 ある夜が更けたころに一人の僧が

 来たのでそばを振舞った。

 一ヶ月間、毎夜同時刻に蕎麦を食べ何処となく

 去ってゆく僧侶にどこの寺の僧侶かと訪ねると

 もじもじと田島町の寺と答え逃げるように去っていった。

 そば好きの狐か狸が化けていると思い、

 後をつけて行くと坊さんの姿は地蔵堂の中に

 すぅっと消えてしまった。

 その夜、うとうと寝ていると一人の気高い僧侶が

 枕元に現れ、西慶院地蔵であることを告げ、

 日ごろのそばの供養の報いに一家の諸難から

 守ることを約束した。ある年、江戸に悪疫が流行したが、

 尾張屋一家は無事息災であった。


皐月


端午そば【5/5】


 雛そばと比べて端午に食べる習慣は

 少なかったようだが、記録は残っている。



水無月


祇園会【6/7〜14】


 本社である京都の八坂神社の祭礼は、

 現在は7/1〜29に行われる。

 清和天皇の貞観11年(869)に疫病が

 大流行したとき、これを鎮めるために行った

 祇園御霊会が起源である。

 各地で蕎麦切りを食したり、蕎麦粉を贈る慣習があった。


文月


施餓鬼会【第一日曜】


 蕎麦禁断の石碑が建っている称住院では、

 無縁仏を弔うため、そば切り寺道光庵の故事にならい

 檀家に蕎麦を振舞う。


葉月


芋名月【8/15】


 月に芋を供えるが、地域によってはうどんまたは

 蕎麦を重箱に入れてススキの穂を添えて上げる。



長月


お九日【9/9】


 江戸時代の五節句のひとつで、

 八日の晩にそばを作り、

 九日に赤飯とともに供えた。


神無月


夷講そば【10/20】


 農山村では夷神を田の神、山の神としており、

 初夷(1/20)と暮夷に食べるそばを言う。



霜月


大師講【11/23】


 天台宗の智者大師、元三大師、弘法大師など

 諸説あるが、各人を祭日として祝って蕎麦切り、

 蕎麦掻、蕎麦団子等でもてなした。



師走


年越し蕎麦


 年越し蕎麦の由来は諸説ある。

 @鎌倉時代、博多の承天寺で年を越せない町人に

  ’世直し蕎麦’と称して蕎麦掻を振舞ったところ、

  翌年から運気が向いてきたためという説

 A室町時代、関東三長者の一人が毎年晦日に

  無事息災を祝い歌を詠み家人ともども蕎麦掻を

  食べたのが起こりだという三角説

 Bそば切りは細く長く打ち伸ばすので、

  延命長寿や身代が細く長く伸びるように

  と形状にちなんだ説

 C金細工師が金箔を延ばす時、金を寄せる時に

  使用したため、縁起が良いと始まった説

 D新陳代謝により体内を清浄にして

  新年を迎えるという蕎麦効能説

 E植物の蕎麦は少々の風雨に当たっても

  翌日陽がさせばすぐおきることにあやかり、

  来年こそはと食べる説