製粉


蕎麦切りに進化するために必要不可欠であった

製粉についてまとめました。




@臼の歴史


 古いものでは、17000年前の石器時代の遺跡から

 粉砕用の石臼(搗き臼とすり臼)の形跡が

 発見されており、BC3000年メソポタミア、

 エジプトでもサドルカーンという石臼が

 利用されている。

 固定式のサドルカーンから回転式の

 ロータリーカーンへの発展するのが

 紀元前500年でギリシャのデロス島から出土した

 置物から判明しているという。

 (溝などはかなり後のことである)

 日本の臼の発達は、日本書紀に「推古天皇の

 18年(610)、渡来僧(高句麗)2人が、

 “碾磑(てんがい)”という石の臼を造ったのを

 始まりとする」と記述がある。

 碾磑について臨済宗東福寺大本山 東福寺に、

 わが国最古の石臼古文書がある。

 それによれば、宋代の中国から技術を

 聖一国師(弁円1202年〜1280年)が

 伝えたといわれ、国師が寺院を建設された

 参考書(大宋諸山立図一集文)の中に「水磨様」

 と書かれた石臼式水力利用製粉工場の

 立面図がある。

 日本は粒食が中心で小麦等を粉砕することが

 少なかった事が、石臼の発達を

 遅らせたのかもしれない。

 この時代から石臼はお茶を挽くことを中心に

 発達していく。

 戦国時代、大名達がこぞって茶を好み、

 戦場にも持ち出した。

 茶を石臼で挽き、これを野で点じたとも考えられ、

 茶臼山という“山”が全国各地に在る所以である。

 石臼に代わって導入された現代ロール製粉機械は

 19世紀にスイスのスルツベルゲルによって開発された。

  ← 日本最古の碾磑


A製粉の原理


 石臼の上臼と下臼の接触部は曲面になっていて、

 中央部には“ふくみ”と呼ばれる隙間がある。

 すり合わせ部は外周部で半径の約1/3ほどである。

 

 上臼と下臼の接触面には溝が刻まれており、

 主溝、副溝がある。

 下図のパターンは八分画六溝である。

 上臼を反時計回りに回転させ、上臼と下臼の溝の

 交点@(下図)に注目すると、交点は@→A→Bと

 外周方向に移動する。これにともない溝上の粒子は、

 石臼の重さと摩擦で外周方向に送り出される。

 

 ロール製粉機は6〜10%ねじった条溝を設けられた

 ロールミル2本を0.3mm〜0.7mm離し、高速・低速に

 それぞれ回転させることで、目の隙間に入り込み

 瞬時に粉砕される。

  ← ロール製粉の模式図